予約フォーム
    

総院長日記

2013年8月21日 水曜日

総院長のひとりごと11

中学に上がる頃までは、すごく厳しい人でした。そして祖母の兄が毎日、父親代わりのように来てくれました。だから、寂しさは感じなかったですね。最後まで親孝行は、できませんでしたが、本当に感謝しています。強い女性でした。
昭和37年に小学校に入学してから、40年代、50年代と、生活水準、生活環境、そして考え方が年々、というか日々変化していくような、今では想像できないような時期に学生時代を過ごしましたね。外見は、自分なりに当時の流れについていけたんじゃないかなと思っていますが、精神的には、祖母の影響が強くいい意味でも悪い意味でも、解放されていないような気がしますね。
振り返ると夢のような、希望の持てる時代でした。物心ついてからでも、東海道新幹線、東名高速、名神高速の開通、東京オリンピック、大阪万博、札幌オリンピックの開催など日本の経済成長と伴に、青春時代を過ごすことができた世代でした。でも、精神的には、欧米のような個人主義には馴染めなかったですね。  昭和60年代から平成に年号が変わる頃から、地元には、ほとんど足が向かなくなりました。仕事も楽しかったですし、バブルの崩壊もありましたからね。それでも、何か悩んだり、落ち込んだりすると、幼なじみが一番でした。本当に心を許せるのは、二人しかいませんけどね。この二人とは、山ほど思い出がありますし、今でも当時と変わらずに話せます。三人ともそれなりに大人になり、父親にましたけどね。
この3年くらいは、週に一度は、会いにいきます。子供の頃の思い出話などをしていると、その頃にタイムスリップするようで、気分が晴れますね。
次回は、子供の頃の思い出話を書いてみようと思っています。

総院長 伊藤 暁彦

投稿者 東京新宿メイルクリニック | 記事URL

2013年8月21日 水曜日

総院長のひとりごと10 

僕は、昭和31年2月の生まれです。前年の昭和30年に経済白書で「もう戦後ではない」と発表され、高度経済成長が、スタートした年ですね。
生まれも育ちも三重県四日市の漁師町で、24歳まで暮らしました。僕の最初の記憶は、昭和34年9月の伊勢湾台風ですが、その夜の数時間のことだけ覚えているんですよね。家は、海から1キロも離れていない所ですぐ南には、桜並木の小川が、流れ、海岸は海水浴場でした。当時は防波堤もなかったと思います。  二階で、祖母、母と弟の4人で、舟のように揺れる家と、暴風雨の轟音しか覚えていないのですが、その後の記憶は、6歳までないんですよね。記憶していない本能的な恐怖感がどこかに潜んでいるのかな、と思うくらいそれだけ覚えているんです。
昔からの漁師町で、人情味があり仲間意識の強い町で、僕はそんな町が、好きでした。気性も荒かったですけどね。伊勢湾台風の後、急速に町が変わっていきました。
最初の頃は料金所があったと思いますが、国道23号線が開通し、防波堤ができていきました。数年で、コンビナートが、町のすぐ近くまで拡張してきました。中学に上がるまでは、まだ一部海水浴場は、残っていてタコの噴水だけが最後まで残っていましたね。幼稚園からその頃、そして高校卒業までが、本当に懐かしい思い出です。
伊勢湾台風の年に、両親は離婚していました。母は病弱で、今思うと薄幸な人生だったかもしれません。43歳で、亡くなりました。祖父は、僕が生まれる前に亡くなっていましたので、僕たちは、祖母に育てられました。家政婦紹介所を経営していましたが、当時は大変だったと思います。  少し長くなりそうなので、続きは近日中に「ひとりごと」に書こうと思います。

総院長 伊藤暁彦

投稿者 東京新宿メイルクリニック | 記事URL

2013年8月21日 水曜日

総院長のひとりごと9

メイルクリニックを開院してからは、このような他院での再手術、比較的急を要する方が、多く来院されますが、シリコンリングの方は、紹介の方、再来の方が多いですね。美容外科の手術も相変わらず、興味深く思っていますので、ご紹介の方や、以前のクリニックから、再来される方は、現在も、手術日を決めてあるいは、時間外に診療しています。やはりこの仕事が、好きなんでしょうね。
メイルクリニック開院当時から、僕の仕事を手伝ってくれている林先生が、平成24年4月から、常勤で勤務していただけるようになりました。これで、クオリティを保って新宿院、名古屋院で、余裕を持って仕事ができるようになりました。今年、25年3月からは、名古屋院院長として、独自のブログも初められて、様々な情報を発信して下さっています。新宿院は、来院される方も出張のついでに来られるとか、海外から来院される方もいらっしゃいますので手術のバリエーションも多いですね。それで、林先生と調整しながら名古屋院と新宿院とも均等にスケジュールを組んで手術をしています。両院とも複雑な手術や、手術件数が多い日は、二人で勤務することもあります。信頼できる先生と話し合いながら仕事ができることは、安心感もあり、楽しいですね。月に一度のスタッフを交えてのミーティングも、充実したものになりました。
最近は、包茎手術のついでに美容外科のカウンセリングを受けられる男性の方も来院されるようになりました。男性専門のクリニックだから気軽に相談できるのでしょうね。女性の方は紹介の方やメイルクリニック以前からの方々なので、手術日を決めていますので、来院される方にご迷惑をおかけすることはありません。
これからも、益々来院される方の悩みに、できる限り対応できるように林先生、スタッフ共々、努力していきますので、気軽にカウンセリングを受けに御来院してください。
林院長のブログでは、手術に関することなど、医学的な情報を発信して、「ひとりごと」では、美容整形のエピソードや、日々の出来事などを、書いてみようと思います。興味があることがありましたら、クリニックの相談メールにでもお送りください。
また、メイルクリニックの手術や考え方に共感してくれる先生で、札幌や、博多などで個人開業されている先生、僕と一緒にやってみませんか?

伊藤 暁彦

投稿者 東京新宿メイルクリニック | 記事URL

2013年8月 3日 土曜日

総院長のひとりごと8

23年前に、クランプを使った包茎手術が、美容外科医としての最初の手術でした。当時の切除範囲のデザインは、ほとんど画一的で、クリニックのマニュアル通りの手術でした。切除し過ぎることは、ほとんどありませんでしたが、手術後も余っている方は、いらっしゃいましたね。
最初のクリニックでは、クランプを使えない方の手術はしなかったと思います。だから、真性、陥頓包茎の方は絞扼輪に背面切開を入れて、クランプが嵌まるような方しか手術はしなかったですね。美容外科の仕事がメインでしたが、最初の1年程は半数近くは包茎手術やシリコンボールでした。美容外科も、最初のクリニックでは、ほとんどの手術にマニュアルがあり、基本的な手技の習得には、非常に恵まれていましたね。3年目に入ると、包茎手術も様々な症例に対応できるように、フリーバンドの手技にシフトして、美容外科の手術も、そのクリニックでは、限界を感じるようになっていきました。
一般診療の院長をしながら、最後にアルバイトも含め、足掛け15年お世話になったクリニックで、一番たくさんの手術手技のバリエーションを考えましたね。美容外科で一番、関心を持ったのは、フェイスリフトと豊胸、そして瞼の脱脂などで、男性の手術は全ての包茎手術に対応できるできる手技を考えることでした。
美容外科も含めて、増大、長径などを、安全にできる限り満足していただくような、手術手技ですね。手術を受けられる方から、発想を得ることも多くありました。脂肪注入も、3つの区分に分けて注入すると、ダルマ状にならないとか、根部で固定するとさらに効果的であるとか、アイデアは、大事だと思いますね。シリコンリングも、そういった方からの要望でもありました。最初は、数珠状のリングが多かったですよね。業者とも相談しながら、いいものができました。ボールとの組み合わせも考えましたね。リングを取り入れてからは、主流になりました。
次回は、今回の「ひとりごと」の最後として、今後の抱負を交えて書いてみようと思います。

総院長 伊藤暁彦

投稿者 東京新宿メイルクリニック | 記事URL


大きな地図で見る

住所
〒169-0074
東京都新宿区北新宿1-1-17 ウィンド北新宿ビル2F(1階がサンクスさん)
最寄り駅
JR中央総武線 大久保駅南口下車
診療時間
火~金 10:00~20:00
土・日・祝 10:00~18:00
月曜休診日

お問い合わせ 詳しくはこちら